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「自分には資格がない」という言葉の、本当の意味

──30年のキャリアを前にして、なぜ自信が持てないのか──

 

一 繰り返し聞いた言葉

再就職支援の現場で、私はある言葉を何度も聞いた。
「自分には資格がないから、民間では働けないと思います。」
「民間で働いたことがないから、何もできないんです。」
「どこかの企業に拾ってもらうしかないですよね。」
語るのは、30年以上にわたって国防の最前線に立ち続けてきた自衛官たちだ。艦艇を動かし、部下を育て、危機に対処し、組織を率いてきた人々が、定年退職を前にして、こうした言葉を口にする。
最初にこの言葉を聞いたとき、私は驚いた。しかし繰り返し聞くうちに、これは個人の性格や謙虚さの問題ではなく、何か構造的な問題の表れではないかと思うようになった。

二 「資格がない」は本当か

「自分には資格がない」という言葉を、文字通りに受け取れば、確かに一定の事実を含んでいる。民間企業の求人票には、「○○資格保有者優遇」「業界経験○年以上」といった要件が並ぶ。自衛官はその多くを持っていない。
しかし、少し立ち止まって考えてみたい。
「資格がない」というのは、「能力がない」と同じことだろうか。
危機的状況においてチームを統率する力。部下一人ひとりの状態を見取りながら組織のパフォーマンスを最大化する力。決断の結果が人命に関わる場面で、それでも判断を下す力。これらは、多くの民間ビジネスパーソンが生涯をかけても身につけられないかもしれない能力だ。
なぜ、これほどの経験を積んだ人間が「自分には何もない」と感じてしまうのか。

三 暗黙知という「見えない宝」

この問いに対する一つの答えが、「暗黙知」という概念にある。
知識創造理論で知られる野中郁次郎・竹内弘高(1995)は、人間の知識を「暗黙知」と「形式知」に分類した。形式知とは、言葉や数字で表現できる知識だ。資格、マニュアル、職務経歴書に書けるスキル。これらはすべて形式知だ。
一方、暗黙知とは、経験や勘・身体感覚に根ざした、言語化しにくい知識だ。長年の実践を通じて自然に体に染み込んだ判断力、状況読解力、人心掌握の技術。これらは本人にとっては「当たり前のこと」になっているため、特別な能力として自覚されにくい。
自衛官が在職中に培うものの多くは、この暗黙知だ。
問題は、民間の転職市場が「形式知の言語」で構成されていることにある。求人票も、面接も、職務経歴書も、すべて形式知を前提に設計されている。暗黙知をそのまま市場に持ち込んでも、評価する仕組みがない。豊富な経験を持ちながら「何も持っていない」ように見えるのは、能力がないからではなく、形式知への翻訳が行われていないからだ。

四 なぜ翻訳が行われないのか

では、なぜ自衛官は自分の経験を形式知に翻訳できないのか。
理由の一つは、そうする機会が構造的になかったことだ。
民間の転職市場では、転職を経験するたびに職務経歴書を書き、複数の企業の選考を受ける。その過程で、自分の経験がどのような価値として評価されるかを繰り返し学ぶ。「自分の強みは何か」「それをどう伝えるか」という問いを、何度も実践の中で問い直す機会がある。
自衛官にはそれがない。定年まで外部労働市場に接触することなく、組織内でキャリアが完結する。翻訳のトレーニングを積む機会が、構造的に生まれにくい環境にある。
もう一つの理由は、自己内省の習慣が形成されにくいことだ。自衛隊は組織の必要に基づいてキャリアが決まる世界だ。「自分は何がしたいか」「この経験は自分の何を育てているか」という問いを持ち続けることは、組織的には優先されない。その結果、自分の経験を客観的に振り返り、言語化する習慣が育ちにくい。

五 「自信のなさ」の正体

「自分には資格がない」「何もできない」という言葉の正体は、実は自信のなさではないと私は思っている。
それは、「翻訳の言語をまだ持っていない」という状態だ。
自分の経験の価値を、民間市場に通じる言葉で語る機会を持たないまま、初めての転職に臨もうとしている。だから不安になる。「何も持っていない」という感覚は、能力の欠如ではなく、言語の欠如から生まれている。
これは支援によって変えられる問題だ。自分の経験の棚卸しをし、その価値を言語化し、民間の文脈に翻訳する作業を、誰かと一緒に行う。それだけで、自己認識は大きく変わる。
実際、私が関わった再就職支援の場では、この作業を経た退職者が「自分にもこんな経験があったのか」「これは民間でも通用するんですね」と気づく瞬間を、何度も目にしてきた。その瞬間の表情の変化は、いつも印象的だった。

六 支援に求められること

「自分には資格がない」という言葉を聞いたとき、支援者は何をすべきか。
「大丈夫です、あなたには力があります」と励ますことではない。それは一時的な慰めにしかならない。
必要なのは、その人が積み上げてきた経験を丁寧に掘り起こし、「あなたが当然だと思っていたこれは、民間ではこういう価値として評価されます」という翻訳の作業を、一緒に行うことだ。
この作業は、履歴書の書き方指導ではない。もっと深いところから始まる、自己理解の再構築だ。「自分は何者か」という問いに、自分の言葉で答えられるようになること。それが、真の意味での「再就職の準備」である。
30年のキャリアを持つ人間が「何もない」と感じなくていい社会をつくること。それが、自衛官の再就職支援が目指すべき本質的なゴールだと、私は考えている。